SSブログ

新潟の傑物

新潟には大変な傑物がいました。

司馬遼太郎氏の著書『街道をゆく』の記述から
3shiba.JPG
「亀田郷には,佐野藤三郎という大変な傑物がいる」・・・土地の出身で,子どものころから湛水の田に入り,首まで浸って田の仕事をしてきた農民の一人。佐野藤三郎は,複雑な現在の法社会や経済社会の現実の上に立って,一種超然としながらも,それらの現実を操作して,日本の行政の中で小さな「幕府」を作っている。

【佐野藤三郎氏】
1sano.JPG
大正12(1923)年,下木戸(東区)の農家に生まれる。
終戦後,農民組合に参加,農地委員に就任した。
昭和30(1955)年,亀田郷土地改良区理事長となり,亀田郷の乾田化の総仕上げと,乾田化後の農業技術の確立に努めた。この経験を活かし,昭和51(1976)年から度々訪中し,中国東北部の三江平原をはじめとする農業開発の技術指導の中心者となった。また,新潟市とハルビン市の友好都市,新潟県と黒龍江省の友好県省提携にも協力した。
新潟市HP 新潟に生きた「義」,「愛」の偉人たちより

<乾田化前の亀田郷>
2tannbo.JPG
 ↓↓↓
<乾田化後の亀田郷>
4kameda.JPG

≪三江平原の開発≫
新潟の北東アジア交流は、1970年代に亀田郷土地改良区理事長の故佐野藤三郎さんが、「芦(あし)沼」と呼ばれた湿地帯の乾田化に成功した技術を中国政府に請われ、中国東北部・三江平原の開発に協力したのが原点だ。三大河川(アムール川、松花江、ウスリー川)が合流する広大な三江平原(日本国土の4分の1)は、豊富な水と肥沃な土壌に恵まれ、中国の重要な農業地帯となっている。かつての不毛の大地「北大荒」から「北大倉」と呼ばれる一大穀倉地帯に大変身をとげている。黒龍江省だけで、すでにわが国の水稲作付面積に匹敵する。
5sankou.JPG

<湿地帯>
6sankounuma.JPG

 ↓↓↓
<中国の重要な農業地帯へ変化>
7sankounima2.JPG

昭和53年亀田郷農民友好訪中団として北京に滞在していたとき,王震副総理(当時)から中国の三江平原の土地改良に手を貸して欲しいとの依頼を受けた。
三江平原のあまりの広さに一民間人では出来ようもないとはじめは考えたが,亀田郷と同じ境遇で苦しむ農民のためこれを引き受けた。
 佐野氏が日本の民間調査団を結成し調査に着手してからも,このプロジェクトは困難を極めた。依頼を受けたのは日中の国交回復から7年後のことで国は経済援助の窓口も開けていなかった時代。佐野氏は日本政府に働きかけ竜頭橋ダム建設への30億円の円借款供与を引き出した。1998年に始まったこの工事は2002年供用開始され,その後徐々に灌漑面積を広げていった。豊かな農地への変貌を見ることなく,
1994年71歳で没するまで私欲を捨て農民の心でこの夢を追いかけた佐野氏の業績は,今日でも中国で高く評価されている。

栄誉歴
昭和54年  農林大臣表彰受賞
昭和59年  黄綬褒章受賞
平成4年   第10回アジア・アフリカ賞受賞
        新潟市政功労賞受賞
平成5年   第1回環日本海新潟賞制定記念特別賞受賞
平成6年   農林水産大臣賞(ダイヤモンド賞)受賞
        正六位勲四等瑞賓章受賞

K.K
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。