SSブログ

続 新潟偉人伝 三波春夫(みなみはるお)

《プロフィール》
1923年(大正12年)7月19日、長岡市塚野山(旧・三島郡越路町)で誕生。
13歳で東京に出る。米屋、製麺工場、築地魚河岸で働く。
16歳で日本浪曲学校に入学。
20歳で陸軍入隊。
22歳から26歳までロシアのハバロフスク、ナホトカで捕虜として抑留生活を送る。
労働の合間に浪曲、演劇、歌を創り演じることで仲間を慰めた。
1957年(昭和32年)三波春夫として「チャンチキおけさ/船方さんよ」でデビュー

代表曲
「大利根無情」 「東京五輪音頭」 「世界の国からこんにちは」 「俵星玄蕃」

1986年紫綬褒章、1994年勲四等旭日小綬章 受章。
2001年(平成13年)4月14日逝去。享年78歳

《エピソード》
歴史に残る日本最大イベント[exclamation][イベント]「東京オリンピック」「大阪万博」のテーマソングを歌った[カラオケ][るんるん]、「お客様は神様です!」でおなじみの三波春夫氏は、

その福々しい笑顔[わーい(嬉しい顔)]と、張りのある歌声で日本国民に元気を与えてくれた不世出の歌手ですが、

その笑顔の陰で、戦後4年間(22歳から26歳まで)、「シベリア」に抑留され、過酷な強制労働に耐え抜いた[もうやだ~(悲しい顔)][ふらふら]ことは、あまり知られていません。

「日ソ中立条約」を一方的に破棄して満州に侵攻したソ連軍は、日本軍と交わした武装解除後の在留民間人保護の約束を踏みにじり、在留民間人に対して暴行や略奪、強姦、殺害を繰り返しました。

そして終戦にともなう武装解除に応じた日本兵55万人(ソ連発表)を極寒の地・シベリアに連行し、過酷な強制労働に従事させ、約6万人もの日本人捕虜が死亡しました。

三波春夫氏は、
「国際法を無視し、捕虜の人権を蹂躙した国家的犯罪。さらにソ連は謝罪も賠償も全くしていない」と強く非難[ちっ(怒った顔)][パンチ]していたそうです。

A.H

【参考】
三波春夫オフィシャルhp
http://www.minamiharuo.jp/top.html

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。